”栄養バランス”という神話 その①

こんにちは!

necco舎の はなこ です。



昨日、今日の朝は比較的涼しくてラクでしたが

基本、暑いですね><


お散歩に出かける時間も限られてしまうし

かと言って、夜が涼しいかと言えばそうでもなく…。

犬たちには過酷な季節です。

(人間にも~)



長い距離を歩きたいのはヤマヤマですが

適度なところで引き揚げて、

涼しいところでゆっくりするのがよさそうです。


さて。

書きかけで放置していた記事を続けてアップします><

かなり長いので、ご興味のある方だけお付き合い下さればと思います。




ちょっと唐突ですが^^


私は子どもの頃から

むかーし昔のことを想像するのが大好きでした。


小学生の頃は「考古学者になりたい」と思っていたくらい。



今も、

なにもかも想像するしかないような、いわゆる”古代”のことはもちろん


文字で記録が残っている時代も

残された文献から垣間見えるその時代の空気に

すごくワクワクします。




中でも面白いと思うのは

日本を訪れた外国人が

当時の日本の風景、風俗を描写したもの。


たくさん読んでいるわけではないのですが

おもしろいものがいっぱいあります♪



当時の日本人たちにとっては多分「あたりまえ」で

ことさら記録にとどめるほどでもないような、

普段のなにげない生活のことが

外国人には面白かったり物珍しかったりしたのでしょう。


日本側の記録にはないようなことも

外国人の目だからこそ捉えているのだろうというものがたくさんあって

とても新鮮なんですが


ここでは食生活に関する、ちょっと興味深い記述から

”栄養”って、実はなに??

ということを考えてみたいと思います。



人間の事ですが

動物たちにも通じるに違いない話です。





犬たちのごはんのことを考えはじめるずっと前ですが

どこかで『ベルツの日記』の抜粋を読んだことがあって

とても印象に残りました。




歴史で学んだ人も多いと思いますが


ベルツは「日本近代医学の父」とも言われたドイツ人医師で

栄養学の考え方を日本に伝えた人でもあります。



明治期に東京医学校(現東大医学部)に教師として赴任し

日本で暮らした日々のいろいろを日記に残したのですが


印象に残ったのは

当時の日本人の体力について書かれた部分です。


永らく忘れていましたが

つい先日

『伝統食の復権~栄養素信仰の呪縛を説く』という本を読んでいたら

そこに思いがけず

『ベルツの日記』の記述が紹介されていたのです。




ベルツは明治時代、30年ほど日本に滞在しました。


おもしろかったのは滞在中に日光に旅行したときのエピソードなのですが

それはこういうものです。




最初の日光への訪問時、ベルツは馬に乗っていきました。


そのときは途中で馬を乗り替えること6回、

14時間かけてたどり着いたそうです。


2回目に行ったとき、今度は馬でなく人力車を使いましたが

その時は車夫が交代なしの一人だけだったにもかかわらず

14時間半で到着したそうなのです。


馬6頭で14時間かかったところを

人間ひとりで、所要時間がほぼ同じ。



驚いたベルツが、

車夫に何を食べているのか確認したところ

「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という

ベルツからすれば非常に粗末なもの。


聞けば普段の食事も

米・麦・粟・ジャガイモが中心の低タンパク・低脂肪食。


ベルツは興味を惹かれて実験を思い立ちました。




既に書いたように、

ベルツは日本に西洋医学に基づいた栄養学を伝えた人ですが


車夫たちの食生活が、

自分の知っている栄養学の知識からあまりにもかけ離れていたので


「栄養学に則った食事を摂らせたら、もっと力を発揮するに違いない」


と考えたのです。



実験は

車夫を二人雇って、食事を管理・検証しながら、

毎日体重80kgの人を乗せて40㎞の道を走らせるというもの。


1人には従来通りの食事を。


そしてもう一人には

栄養学的に、より力を発揮できるようにと

肉などを中心にした、良質なタンパク質を意識した食事を。




…その結果、

肉食に変えた車夫は3日で疲労困憊して走れなくなり

「お願いだから元の食事に戻してください」と懇願したそうです。



そしてもう一人、

普段と変わらない

ベルツからすれば”粗末な食事”を摂っていた車夫は

そのまま3週間も走り続けることができた、と。





その頃日本を訪れた他の多くの外国人の記録にも

「日本の車夫は1日50㎞の距離を走るのが当たり前」

というような記述をはじめ


日本人の強靭な体力についての言及がたくさんあるそうです。



ただ残念なことに

ベルツの実験にも関わらず

当時の日本はドイツから伝えられた栄養学を盲目的に取り入れ

広く普及しようと躍起になりました。


当時の日本人の体格は欧米人と比べてとても小さく

食べ物を変えて大きな体になる、ということも

欧米列強に並ぶためには必要であるとされたのかもしれません。



ベルツは自身の日記の中でそれを嘆いているそうですが、

いずれにしても当時の日本は、

医学をはじめとしたあらゆるもので

西洋の「進んだ」科学を何よりも重んじたのです。







「身土不二」という考えがあります。


身体は、生きて生活している地域と不可分であるということです。


身体を作る食は

その土地の風土に合わせて培われるものであり

生きものは長い時間をかけて、

遺伝子レベルでその食生活を自分のものにしていきます。



最新の栄養学に基づいた食事が

必ずしも明治期の日本人の身体に合うわけではなかったように


きっと、

万人に最適な栄養素とそのバランスがあるわけではないんだと思います。




この本で述べられていることは

なかなか興味深いことばかりなのですが


例えば

人類も含めた霊長類の進化と食性の変化を見てみると


いわゆる、

いちばんお猿さんに近い原猿類とい言われる猿たちは

虫などをたくさん食べる、

いわゆる動物性の食性に傾いているのに対して


より人類に近づくにしたがって

木の実や葉っぱなど、植物食の割合が強くなり(真猿類)


類人猿と呼ばれるゴリラやチンパンジー、オランウータンなどでは、

ほぼ植物食になっているという事実があるそうです。



人の食性は生物学的に見れば、

もともとは植物食であっただろうということ。


しかし、育んできた文化の影響を多分に受けて

雑食になっているのだということ。


でも、人が何らかの事情で

温暖な気候を捨てて世界中に散らばる道を選んだことで、

定住先として選んだ土地で得られる食物には

当然制約がありました。




だから

寒冷で穀類の栽培が困難なヨーロッパに移り住んだ人たちは

乳肉に依存した食生活をせざるを得ませんでした。


したがってヨーロッパでは

乳肉に適応した人たちがあらわれ

長い時間をかけて、そういう人たちの遺伝子が優性になり

動物性タンパク質を比較的有効に取り入れられる身体に変化して

現代に至っている。





温暖な日本では

穀物と野菜を主食とする生活が長く続きました。


だから日本人は

そういう食生活に適応した身体を持っています。


それが明治以降の

ヨーロッパから入ってきた「栄養学」の影響で

動物性のタンパク質を摂ることが大事だと言われるようになり


科学的にもそれが正しいと考えられるようになったのです。



貧しい時代が長かった日本では

すぐにヨーロッパ式の食生活に変えることはできなかったけれど


戦後、世の中が安定して経済が豊かになると

それまで高価だったお肉が安く買えるようになり

西欧諸国のまねっこのように、肉が好まれるようになっていきます。



つまり、

日本でヨーロッパ式の食文化が受け入れられるようになったのは

かなり最近の事で、


まだ今のような食生活になってから1~2世代を経たに過ぎません。


遺伝的な変化を期待するのであれば、

少なくとも数千年の歳月が必要なのだそうですが


日本人の食生活の変化はあまりに急激だったために

(人類が経験したことのない超猛スピードの食生活の変化だそう)

多量の脂肪やタンパク質の消化に

内臓が追い付いていない状態だというのです。




昔ながらの

ごはんとお味噌汁と野菜の煮物とお漬物みたいな食事が

日本人の内臓には負担が少なく、


また充分身体を養うことができるのです。



それは

「栄養素」や「栄養バランス」こそが大事というという考えとは

ちょっと違うものです。



…長くなったので、次に続きます。









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